慈眼

ネコの愛より偉大なギフトがあろうか。

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私は人間の一人暮らし。

それに猫という、ちょっと外見が異なる家族がいる。

ともに時間を刻みながら日々を紡ぐ、多民族同居みたいで小さな家庭。


ある冬のこと、15歳のみぞれに病気が見つかった。

私は最初の2日間を泣き悩み、心を氷で覆い固めてしまう。

見える景色は白と灰と黒だけの寒い寒い色ばかり。

風景の動きは速度が落ちて、まるで静止画のようだとぼんやり感じていた。


そんな連日でのある瞬間、浮かぶ涙越しに何も変わらないみぞれがいた。

「ねぇねぇ(私の名)どうしたの?」って、素知らぬ顔で日常をトコトコ続けている。

やっと、現実が眼に映りこんできた。

みぞれは赤ちゃんの頃から、いつだって闘志満々の女の子だったね。

うん。決めたよ。「いつもと同じく過ごそう!」


言葉を理解できるみぞれに対して、私は病気のことも「頑張って」も決して言わない。

10年以上重ねてきた日々と変わらぬ家族でいたかった。そのままに居続けた。

でも、弟分の猫とは別格に「ご馳走」やらサプリメントを毎回出されては、きっと悟るものがあったはず。

けれども、みぞれは事態を知りながら知らんぷりしていたんだろう。

私はそう感じながら、みぞれも理解しながら、可愛らしくも真剣な二人の騙し合いだった。


やがて、少しずつ少しずつ、ゆっくりと変化が見えてくる。


夏の暑さが巡りくる7月。

みぞれは危なくなるたびに「まだここに居る!」と、お空からの伝達を突き返してきた。

倒れては立ち上がり、また倒れては立ちあがり、そして誇らしげに優雅な微笑みで寛いでみせた。

けれどもついに、勝気なお姫様が神様の馬車に乗る日は、もう、延びそうにない。


私は平日の朝に、出勤時間まで室内の掃除を日課にしている。

お風呂場-玄関-台所-箪笥-窓-座卓。

必ずその順番でひと周りを拭いたら、お終いに踏み台を折りたたむ。

それから猫たちに「行ってくるね」「お留守番お願いね」「待っててね」とご挨拶。

小さなキスと柔らかなお返事をいただいたら、惜しみつつ玄関ドアを抜ける。


とうとう訪れたその日は休日だった。「お迎えの馬車が着いたらしい」

私は緊張の糸をピンと張り直す。完璧への決意を己に誓う。集中力のスイッチを全開モードにする。

そしてこれが最後になる「いつもと同じ」をみぞれに見せるべく、朝の掃除を始めた。

聴きなれた曲を鳴らし、歌い、絶え間なく語りかけながら、すこぶる上機嫌なときの「ねぇねぇ」の姿で。

みぞれの意識は遠く、きれいな瞳が丸く開いたまま、お腹からの強制的な呼吸とともに、うわ言のような声が続いてる。

私はたびたび手を止めてはみぞれを抱きしめ包みこむ。

陽の光と色と音、他には何も見えず聴こえない私たちだけの空間に在って、全ての動作が祈りの儀式のようだった。

いつも通りに拭き終えて、踏み台をカチャ!って折りたたんでから「さあ、終わったよ」・・・


その瞬間に。

みぞれが、大急ぎで出発の仕度を始めた。

「馬車を待たせてあるの」と言ってるように。

「遅刻だわ」って焦る娘を「忘れ物ない?」と慌しく見送るような、あのとき私はそんな心境だったかもしれない。

ほんとうは、寄り添ってまだまだお喋りするつもりでいたのよ。


これまで過ごしてきた朝のひととき、どうやら私は猫たちにじっと見守られていたらしい。

みぞれがその健気な生命の間際に伝えてきてくれたことにより、すっかり私の手順が記憶されていた事実を知る。

「ぜんぶ済むまで待ってたよ」「いつもと同じく過ごせたね!」と、胸を張って得意満面だったに違いない。

今日は私がお留守番。みぞれがドアの向こうへ旅立つ。

ひとつだけ、いつもと違う朝。


“雪まじりの雨”という名の猫は、夏の日に私の中の氷を融かして行った。

【いつもと同じ】